Mariah Carey Exclusive Interview

今明らかになる「キャンプ・マライア」とは?ごくプライベートな悩みから立場の問題まで、ストレートに訊き、ストレートに答えてもらった独占インタビュー

Mariah Carey - InRock Magazine (Japan) - September 1996 - Scans
Magazine Scans
InRock (JP) September 1996. Text by Michele Manelis.

今やマライア・キャリーは90年代で最も成功している女性アーティストだ。彼女の歌は他の花形ミュージシャンであるホイットニー・ヒューストンやジャネット・ジャクソンよりも、はるかに売れているのだ。ニューヨークにあるソニー・レコーディング・スタジオでくつろぐマライアは、ゼブラ模様のシャツを腰で結び、お尻にぴったり張りつくようなジーンズを履き、規則的にジムで鍛えたその体形を惜し気もなくさらしている。ビデオで観るよりもずっと可愛いらしく、世間の人々が考えるよりも、ずっと気さくな女性だ。彼女は音楽の分野ではトップの地位に立っていても、全く気取らない人のようだ。

あなたはどんな音楽を聴いて育ったのですか?
出会った音楽なら何でも、全て聴いたわ。私がまだ幼い頃から私の母はニューヨーク・シティ・オペラで歌っていたの。それで母は「リガレット」を歌っていたんだけど、その曲が、私が生まれて初めて歌い、暗記した曲だったわ。今は歌えないけれど。母はあるパートを何度も何度も練習していたんだけど、ある日間違えて歌ったの。それをまだ小さかった私が、直してあげた・・なんてことがあったそうだわ(笑)。それが音楽との出会いみたいなもので、それ以来、ラジオでかかる音楽は何でも聴いていたわ。音楽が好きで、歌うのが好きで、4歳か5歳の時には、台所のラジオを勝手に持ち出して、隠れて一晩中聴きまくって歌ってたのよ。

一晚中?
ええ。今もそうなんだけど、子供の頃でさえ私は不眠症気味だったの。私には兄と姉がいたけど、育っていく過程で、二人と一緒に住んだことはなかったわ。それでも、私がほんの小さかった頃、二人がスティーヴイ・ワンダーやグラディス・ナイトを聴いてたことは、記憶に残っているのよ。兄はジミ・ヘンドリックスとかを聴いてたかしら?ひとりで育っていって、いつも私はラジオを聴いていたの。ニューヨークのラジオは、私を育ててくれたようなものよ。R&Bをたくさんと、基本的に人気のあったものは何でも好きだったの。

このアルバム「デイドリーム」と、今迄の作品の、最大の違いは何なんですか?
今迄私が発表してきた作品より、ずっと強力に、私がどういう人なのかを表現していると思うのよ。色んな形で、私自身をアルバムの中に投入させたし、この作品では、もっと自分がやりたいことをするために、一生懸命戦ったの。リミックスとかそういうものは、今迄だってやってきたことでしょ?私、いつも、ODB と「ファンタジー」をリミックスするとか「オールウェイズ・ビー・マイ・ベイビー」をダ・ブラットやエスケープとやり直すとか、私とはまるで違ったことをやってる人達と一緒にやってみたかったの。というのは、そういうことが、色々な手助けになると思ったから・例えば、私自身にとっては、単調さを打ち破ってくれるでしょうし、わたし自身が楽しいとかね。ヒップ・ホップが好きだし、やってみたいの。このプロジェクトは、私自身であること、そして自分がやりたいことをする機会をもっと与えてくれたし、業界の新しい面を経験させてくれたと思うわ。

今ではもっと、自分のキャリアを自分でコントロールできるようになった、と言いたいのかしら?
ええ、絶対にそうね。

こういう風にできたのは、自然な成りゆきですか?それとも、断固、自分で決定したんですか?
自然にそう発展したんじゃないかしら。大体、一番最初だって、システム全体がどう動くのか何も知らないまま始まったのよ。あたしは自分の歌を吹き込んだテープを手に握った、ほんの小娘だったし、そのテープが、私のファースト・アルバムになったんだわ。そう、それから私は、スタジオへ入って、レコード制作に集中して、またスタジオへ戻って・・・そういう作業に続いていったのよ。そりゃあ、すばらしかったわ。しかも私のように、小さなアパートメントを3人のルームメイトとシェアして、床に敷いたマットレスに寝ていた女の子にとってはネ。そんな生活が、一躍、いつも夢にみていたような生活に変わってしまったんだもの。すばらしいことではあったけど、いつも100%満足できなかったとしても、自分は大丈夫だと、心のどこかで納得していた所はあったわね。たまたま私はこんなに幸運ではあったけど、決して待ってたら幸運が転がり込んできたわけではないの。そりゃあ、一生懸命ガンバったし、努力したし、人生を通して必死に夢みて、祈ってきたのよ。それが、今、私がやっていることなの。それが叶ったわけで、それはとても嬉しいことだけど、夢が叶ったからって、起きる出来事全部が常に完ぺきだなんてフリは、する必要ないわ。

自分の育った環境を考える時、自分の幸運さを、ただ単純に喜べないってことですか?これだけ成功しても、自分がどういう所から来たか、それをいつも思い出している必要って、あるんですか?
い〜え。私は今ここにいて、現在を生きていかなきゃいけないわ。自分の育った環境や自分が経験したこと、自分が得られなかったものがあるから、よけい感謝を感じているの。ただね、心のどこかでいつも、こういうのが普通の人々の生活じゃなくて、私の生活は、並はずれているってこと、それに自分がこういう立場にいられるって、もの凄い幸運なことなんだと、気づいているわ。この生活環境の変化が急激に起きてしまったでしょ?もし他の人達だったら、まるで人間性が変わってしまったんじゃないかしら?私は・そういうのを経験しても、同じ人間でいられたわ。それはきっと、そういう出来事全部を、ただ有頂点になって喜ぶんじゃなくて、自分を失くさなかったせいだと思うわ。

名声が、全く自分に影響を与えなかった、と言うつもり?
人生は私を少しばかり硬化させたと思うけど、それは健康的な形で、だったわ。それが悪いことだとは思えないの。もっと繊細に、かつ、人々の感情に敏惑にならなければならなかったわ。それまでは、全然そうじゃなかったのに、自分が何かをすれば、それが拡大鏡でのぞかれているみたいに、大きく引き伸ばされるから、いつも何が起きてるのか、気を配っていなきゃいけないの。そう、人々が何を言ってるか?何を考え、どういう反応をしているか?・・・そういう総てのことにネ。

“自分の下にあるカーペットを突然はぎ取られるのを恐れるような、不安定な感情には、もうなりたくないわ。”・・・と、あなたが言っているインタビューを読んだことがあるのですが、もうそんなことは起こらないと確証ができ、いつあなたは心からリラックスできるんでしょうね?
さぁ・・・今だってまだそんな余裕はないもの。

危なっかしいような不安定さに、今でもおびえているんですか?
この地球上を歩いている人間である以上、毎日自分に何が起きてるかなんて、決してわからないものよ。何だって起きる可能性はあるもの。そういうことに気づいている分だけ、他に成功している人達より、少しだけ注意深くなってるわ。他の人のことなんてわからない。私がわかるのは、自分のことだけよ。でもね、やっちゃいけないことに手を出して、自分の人生を台無しにした人達を知ってるから、いつも、人生を通して、常に正しい判断を下そうとしてるみたいね。いつも集中しようとしてるし、何かをやる前に、起きる結果を考えるわ。

いいですか、世間一般の人が、マライア・キャリーという名前を聞いた時、どういうイメージを抱くと思いますか?おそらく、華やかで成功した歌姫・・・そんな言葉が並ぶでしょうね。でも、同時に、堅実な女性としても知られているんですよ。そういうことを、どう思います か?
わからないわ。本当にわからないの。有頂点になって、ただ自分だけの世界にいて、世界は自分中心に廻ってるんだって、心底じ込んでる人っているでしよ?そういう人達を、何度も見てるから。私は世界が自分中心に廻ってるとは思ってないし、実際廻ってないって知ってるわ。

あなたは、ジャネット・ジャクソンとホイットニー・ヒューストンを抜いて、'90年代最もアルバムを売った女性アーティストなんですが、世界中を魅了する自分のアピールを、どうとらえていますか?
う〜ん、わからないわ。前にも言った通り、私はラジオの申し子みたいなもので..つまり、ラジオ中毒なの。だから、その分野に受けるレコードに、ぴったりするものを持ってるんじゃないかしら。決して、腰を据えて、ナンバーワンになるヒット曲を欲しいと念じてるわけじゃなくて、ただラジオが好きなの。あなたがいつここへ来ても、私はラジオを聴いてると思うわ。昼も夜も、一日中ね。そうすることで、私は何が起きてるか肌で知ることになるもの。それに、一度大きく成功した人って、過去の名声に依存すること、よくあるでしょ?私に関しては、絶対あり得ないわ。まだ子供だった頃もの凄くいい作品を発表したアーティストが、どうでもいい作品を出すのが、いつも嫌だったの。まるで、一番最初に持ってた情熱を、もう失くしてしまってるみたいに見えたの。私は音楽を愛してるし、自分のやっていることを愛してるわ。だから私は、情熱を失くさないの。

情熱って、一定に保つのが難しいものでしょ?
曲を作ったり、歌ったりすることでは、全然難しくないわよ。でも、中にはずっと情熱を持ち続けるのが難しいこともあるでしょうね。

以前に較べて、曲が自伝的になってるとは思いませんか?それとも、いつも自分の経験を元に、曲を書くことにしているんですか?
ある意味では、私は曲を書きながら大きくなったようなものなの。で、個人的なことを少しばかり曲の中に入れても、恐怖を感じない点まで到達しているのよ。ええ、確かに、中には他の曲よりずっと、自分のプライベートな経験を元にした曲はあったわね。

「ルッキン・イン」という曲の歌詞で、「彼女は不安定さをはかりにかけ、私の中に彼女自身を隠そうとしている・・・」という一節がありますが、あなたは自分をそういう風にとらえてますか?
そういうフィーリングって、誰でも時々落ち入るものじゃないかしら?他の人のことはわからないから、自分のことしか言えないけど、人間として、人は人生を生き、自分の立場から発生する全てのことに対処していかなくちゃ。私は、この通り何百万という人に、ジロジロ見られる立場に居る人間だわ。そういうことって、時々あまり楽じゃないことだけど、そういうのを曲に書く時、100%自分のことじゃなくてもかまわないと思ってるわ。

イメージは、とても重要なことかしら?
他の人ほど、私にはイメージって重要じゃないんじゃないかしら・もし、あなたかどういう意味かわかってくれれば…だけど。・つまり、「ワン・スウィート・デイ」のビデオを作る時、メイクやヘアーをやってくれる人を雇わなかったのよ。決してわさわさそうしようと思ったわけじゃないけど、スタイリストもなしで、ただ自然だったわ。今、あのビデオを見ると、Ah!と叫びたくなるけど、リアルで、そのものの出来なのよね。私はドレス・アップすることも、違うヘアースタイルをしたりするのも好きだけど、それがどうしてもなくっちゃいけないとは思わないし、絶対に必要でもないわ。

最近は、自分のビデオの監督もしてるんですね。それも、自分でやりたい分野なんですか?今後、他のアーティストのビデオも監督したいと思ってますか?
率直に言うと、私がビデオを監督したのは、それが自分の為だからだわ。・・・今迄、自分でアイディアを出して、高い期待を持ってのぞんだのに、出来上がった作品に、満足できないという経験が何度もあったの。今後は、どんな監督と仕事をしようが、それとも自分で監督したとしても、どういう風に仕事が進んでいるか、よくわかっていられると思うわ。以前は、こうして欲しいとか、こういう風に見えたいとか、ライティングはこうして、という風にスタッフに自分の意見を伝えていたの。そういうのって、わかる?でも、技術的な知識がないと、細部まで特定できず、漠然にしか言えないのよ。そうすると、言われた方も、“Yeah,yeah,すごいビデオになるぜ” とか答えてくれても、出来上がったのを見ると、ガッカリよ。でも自分でビデオを監督した今なら、もっとよくわかっているわけだし、あの経験は、自分を一歩成長させてくれたと思うわ。

ソニーの社長夫人でありながら、アーティストでいるって、とっても大変なことだと想像はつくけど、今のあなたの成功や地位が、御主人のお陰だと誤解されることはない?
ええ、よくあるわ…(ため息)。どうしてそんな風に考えられるのか、わからないわ。わかる?何が起ころうとも、私は決してあきらめないし、歌い続けるわ。今は、そういう虚構は通用しなくて、音楽次第で、もしレコードを好きなら買ってくれるだけなのよ。好きじゃなければ、もちろん買ってはくれないわね。もしレコード会社の社長にそれだけのパワーがあったら、どのアーティストだって簡単に1,000万枚売れるんじゃないかしら。それに、レコード会社にだって万々才でしょ?売れれば、お金が入ってくるんだから。誰と結婚しているか?だとか、レコード会社の人と初対面であるとかなんて、大した問題じゃないのよ。アーティストの成功がレコード会社の利益になるんだから、もし彼らにそれだけのパワーがあるなら、もう起きてるわよ。私にはそれ以上言えないわ。私は自分の人生を生きて満足しているし、私が人々を幸せにしてあげられたらいいと思うわ。

モトーラ氏は、元々はプロのシンガーなんですね?一緒に歌ったことはありますか?
(笑いながら)彼が歌う時は、ラジオをかけるの。ワン、ウン日本当を言うと、トミーの歌は、そんなに悪くないの。あれはロンドンへ行った時のことだわ、ある夜、アフター・アワーに出かけるようなクラブヘー緒に行ったの。そこには、少人数のバンドがプレイしていて、トミーが私のバック・シンガー達と一緒にステージに上がったの。で、私もバック・シンガー達と、彼のバックで歌ったのよ。結構おかしくて、楽しかったわ。

子供を作る予定はないの?
しばらくはないわ。

あなたが主宰する、「キャンプ・マライア」のことを教えてもらえますか?
都会の特定の一地域にたまって、周囲の環境から悪い影響を受けてる、恵まれない子供達のために、「キャンプ・マライア」はあるのよ。そういう環境に居る子供が行き、将来の為の職業訓練も受けられるの。具体的に説明すると、子供達はそこへ行って、自分がやっていることに、どうやって入り込んでしまったか?を言うの。医者達が、話をしてくれるわ。基本的に、職を持っている人なら誰でも、あそこへ行って、子供達にどうやってその仕事をやるようになったかを説明してあげるのよ。というのは、そういう子供達には働いている親又は親自体がいないのよ。子供達の目に映る成功した人々は、ドラッグの売人か、何か悪いことをやっている人なのよ。だけど、人生には他の未来もあるんだということ、それを教えるのが目的なの。子供達は本当にすばらしい子たちなんだけど、中には街から出たことも、太陽の下で遊んだり、田舎を見たりしたこともない子もいるのよ。私、「フレッシュ・エア・ファンド」という基金に所属していた人をたくさん知っているわ。その基金と私、一緒に仕事をしているの。フレッシュ・エア・ファンド・キッズのひとりは、現在カメラマンとして活躍してて、もし基金がなかったら、今の自分はなかった、と言ってるわ。私のバックアップ・シンガーのひとりも、フレッシュ・エア・ファンド・キッズだったの。この基金と深くつきあえばつきあうほど、人と出会えるわ。本当の意味で成功した人達にね。その中のひとりが、こんなことを言ってたわ・・・ “もし基金に関わってなかったら、私は今どこにいたのかしら?ストリートでホームレスをしていた?それとも、もう死んでいたかも。” ね、いい組織でしょ?子供達に希望を与えられるんだから。

開演前、客席から嬌声が聞こえると、今でも恐くなるんですって?
というか、初め恐かったのは、まだ人前でパフォーマンスを見せたことがなかったせいよ。突然、何百万人の視聴者を前にTV番組に出たり、アリーナでは、すごい人の前で歌うのよ。私はクラブで歌った経験がないから、他の人のようにパフォーマンスを学ぶ機会がなかったの。で、突然放り込まれて、実地で学ばなきゃいけなかったのよね。とにかくやらなきゃいけなかったし、今ではむしろ快感だわ。本当に楽しいの。もちろんステージに上がる直前は、いつだって緊張するけど・大観来の前に立つのに緊張するんじゃなくて、声がね。声帯って、他の部分と同じように筋肉なの。だから、声帯がその気になってないのに、強引に何かをさせるなんてできないのよ。声帯が疲れている時はあまりよくないわけで、せっかく来てくれた人々を失望させるのがイヤなのよ。それが唯一の悩みね。もし声がいい調子なら、私は大丈夫。声がかすれていたり、風邪を引いている時は、全然大丈夫じゃないの。